2025年 特別企画 京阪神ドライブ前編
京阪神でも楽しめるはず。もう自分の子供の頃とか思い出しながら楽しいもんです。
京阪神といいながら前編は「阪神ドライブ」が正解。
別に冬限定じゃなくてもいいけど冬期はドライブ控え目なんで毎年こんな感じでウロウロしよっかな。
と言うわけで?計画というほどでもなく頭に浮かんだところへ。
特別企画です、冬場なんで遠出もしないし雪道とかわざわざ走りにいかないのでそんな中で楽しめないかというもの。何で普通のドライブではなく特別企画なのかと
言うと近場過ぎてドライブの気持ちが少し違うし、日帰りで何度も出向いた寄せ集めで作ってるからです。知ってるところをドライブの目線で
見てみるのも面白いわけでちょっとやってみようというもの。この写真は京橋の京阪モールの屋上駐車場から出口に向かって下るところ。
令和から平成飛び越えて昭和感がある眺め。実際にこの駐車場は古くてボクなんか楽しみだもんね。これはスマホでの撮影、
風景になるとどうしてもメインのOM-Dに軍配が上がるがそれでも市街地だとあまり気にならないし、人通りのある市街地だと大きなカメラは人目が気になるのよ。
これね、高架が阪神高速神戸線、ちょうど名神西宮インターに大阪側から入って行こうとするするところの側道ですね。防音対策の最終形がこれなのかな?
ところで名神高速はその名通り?名古屋と神戸を結ぶから頭文字を合わせて名神と。と言っても実際は神戸まで行ってないし、名古屋だって小牧じゃないかと。
名神の歴史はどこぞで詳しく調べることは出来るけど地図を見て楽しむ派として勝手に想像するのも面白い。西宮インターは1964年に出来ている。
尼崎から西に向って神戸まで...と、ならずに「もうここらでいいじゃん」とカーブして国道43号に向って終わる。当時は阪神高速などない。
当時片側6車線の国道43号、国道2号はスルーとしてしまう。おそらく当初は神戸まで考えてたと思うがどこかで国道43号に接続するなら西宮でいいやと。
名神高速と阪神高速、国道43号が接続するところ、かつて片側6車線あった広さを想像してみますか。名神高速がここに接続した1964年とか阪神高速など
ありません。後になって阪神高速神戸線は神戸から作られて伸びて来てここに繋がって名神高速の名前になってる神戸まで高速で行けるようになる。
ここ西宮まで大阪の方から阪神高速が作られて今の高速道路網(名神、阪神高速神戸線)の形になったのはボクが小学生の頃ですからさらに後のこと。
とにかく名神高速は古いので今後もいろいろ話になると思うけど、後から高速道路が出来て道路が整備されてるパターンではなくて名神が作られて
それに合わせて道路が整備されてくような時代でもあったわけですよ。ボクの記憶の限界だと1977年くらいですかね。(さすがに記憶だけだと記事にならない)
ここは、西宮の料金所と交通機動隊があるところ、クイズにでもするか?とサッと記念撮影だけしてました。ボクはETCとかなかった時代に仕事で西宮の料金所、
利用してましたよ...いつも渋滞で交通情報でもおなじみでした。そりゃここまで来て走って来たクルマがみんな現金払いですもん、ここまで高速で来て
渋滞の中「せっかく一気にここまで来たのに料金払うのに時間ロスってまうとは...」となってたけど、ETCとか無かったので「こんなもんだよな」と
諦め受け入れる状態。ここから神戸方面に向かうなら今度は芦屋の料金所でやはり渋滞してたりね。ETC導入してしばらくは車載機の価格や
天下り団体に加担するようで嫌う人もいたがETC割引の前に声も小さくなった。(他の割引サービス消滅したし)実際料金所渋滞はほぼ消えたもんな。
阪神国道って駅名いいよな、で...阪急電鉄です。なんならこの国道を跨ぐ感じでホームがあったら最高だったかもな。この駅の前、今大きな医療センターが
建つということで工事中、もうすぐここらの雰囲気も変わってしまいます。ここが更地だった時は駅が見渡せて良かった、ストリートビューを貼っておこう。
で、昔は何があったかというとアサヒビールの工場だったな。仕事で若い頃出入りしてた、飲めないビールを運んで鍛えてダイエットしたもんね。
まあ今より1000倍バカだった頃のこと思い出したくもないのでこの地は離れるとして?ここらも記憶を遡ると西宮北口のダイヤモンドクロスとか
西宮球場とかね。名神高速が東から来て南にカーブして国道43号に向かうが西宮球場が立ちはだかって南にカーブする感じだったんよね。
再び国道43号に来ました。この写真の説明の前に...ここに来たところでコインパーキングにクルマ入れたんだけど狭い、駐車枠くらいの道幅の通路の奥に駐車場が
あっていきなり「おわっ!」って声出た。そこから歩いてこの歩道橋。ここはボクがXでも投稿したネタだけど阪神大震災で高架の道路が横倒しになった
場所なんですね。手前が芦屋で奥が神戸、路面の舗装も違うけど見て欲しいのは支柱の方、補強されてて耐えた芦屋は円柱で作り直した神戸は違うものに。
芦屋の方も耐えただけじゃなくもちろんさらに補強はされてるけどね。阪神大震災当時、もう今の職場で働いてたのでこの震災のことで思い出すことは
いっぱいある。地震の時間帯が違えば横倒しになったここ、走ってたかも知れないんだからな。ちなみに国道43号、片側3車線だけど湾岸線が出来る前は4車線だった。
東灘区を通り抜けて神戸市は灘区まで来ました。この日は日曜日なんでここらも静かといいますか平日とは雰囲気が違いまして、その違いが好きで来てます。
神戸にしろ大阪にしろ、いや全国的にそうなんだろうけども昔と比べたらだんだん立ち入ることが出来ないところが増えて来た。基本的には
一般の人、関係者以外は入るところじゃないのだが休日は岸壁まで行けるところもっと多かったのですね。埠頭で働いてる人も
入って行けないようにバリケード立てたり、月曜日の朝にそれを片付けたり面倒なんですけど何かあったわけでしょう。
この摩耶埠頭、この目の前の交差点にセブンイレブンがあるし阪神高速方面に向えば食べるところ並んでる。おしゃれな街ではない神戸で遊ぶボク向けのところ。
おぉ、なんかカッコいいな、倉庫群なんですけどね。ここは昭和の頃、摩耶埠頭駅(旅客扱わない貨物駅)があったところ。昔は輸送の主役と言えば鉄道だったわけで
港湾地区や当時では炭鉱の町など鉄道網がすごかった。30年くらい前だと「ここ線路があったところだな」とすぐわかる長細い空地が目立ってたが
最近はさすがにわかり難くなって来た。でも航空画像を見るとそれでもそれらしい痕跡はありますね。ネットで航空画像が見られるようになった頃、
ボクが一番面白がって見てたのが実は道路ではなく鉄道の痕跡、廃線跡を見ることだった。ボクが神戸にドライブ行くというと六甲山か
こんな摩耶埠頭だったりする。おしゃれなところ(北野とか)はさすがに歩いて行くで...いや行くことないか?
摩耶大橋は無料化されてる。110円分得した気分で渡りましょう。この橋は古いですよ、ハーバーハイウェイとか作ってる途中から知ってるけど
摩耶大橋は1966年完成とあるからボクより年上だ。当時のこの橋からの眺めとか想像しちゃうな。「ポーアイ」って言葉がどこまで神戸以外で通じるか
わかんないな、ポートアイラインドね。1981年にポートピア博覧会なんてあって六甲山削ってせっせと埋めて作ったポーアイ、
この摩耶大橋が出来た頃はなーんもなかったわけでポーアイや六甲アイランドがない神戸の景色とか考えたこともなかったな。ちなみに六甲アイランドを
「六アイ」と略すようだは、物流、運送の仕事してると「六甲」で通じるし「六アイ」なんて聞いたことない。(少なくともうちの職場では)
ポートアイランドには神戸港港島トンネルで。休日の広々としたポートアイランドの倉庫見物...ではなくポートアイランド北公園に素直に向かいます。
ここは対岸のような人の多さはなく結構居心地よくこの日も写真撮るだけじゃなくウロウロ歩き回って過ごしたところ。駐車場が1時間160円なんで
それくらいここに居たかな?赤い神戸大橋があって向かいにフェリーターミナル、ポートタワーにオリエンタルホテルとランドマークが見えて
その向こうに六甲山と神戸らしさ凝縮、公園内にバイク持ち込めるのでよく撮影してる人いますよ。メリケン波止場あたりだと賑やかで
それもまた神戸なんだけどボクはさっさとクルマの少ない休日のポートアイランドに行ってしまうのでありました。
宮崎カーフェリーですね。乗ってみたいけどここから宮崎まで行っちゃうのはドライブ好きとしてもったいないというのもあってね。うん乗るなら帰りだな。
このポートアイランド北公園は神戸大橋の東側に水上消防署があったりで歩いて行けるところまでウロウロ、寒いなこの時まだ少し弱まっても寒波来てたのね。
ここでこの後どうするか一人作戦会議、神戸市街なんてクルマで移動して写真撮るとかかなり難しいし、知ってるところも駐車場確保や
いろいろ考えることもあって...神戸空港?あの島とか今も何もないよねー。一度走れるところ走り回ったけど多分今も何もないと思う。
というわけでもう少し西に行きましょうか。明石の方はまた別でドライブ作りましょう。写真撮りに行きたいところはいくつも思い浮かぶ。
「ここかよ」ってすぐ分かった人いるかな?クイズ向きの場所ですよね。高架道路は阪神高速神戸線と国道2号、線路は山陽本線の支線である和田岬線と言われるところ。
そこから線路が分岐して道路を横切って工場に伸びてます、この工場は川崎車両、鉄道車両を製造してるところです。鉄道車両作ってるところはこれまた
航空画像見てても楽しいところです。山口県の下松にある日立製作所とか新幹線作ってるからどうやって船に積んでるんだ?とか航空画像見て楽しめる。
この場所は道路なんでここで作業が無ければこうやって普通に行ける。JRなどの狭軌(1067mm)の車両ならここを使って輸送、納品するんだと
思ってるけどもう使ってないのかも知れない。あとネタとして和田岬線にはかつてもう一つ駅があったんだよ。これは調べて知ったけど跡はそれとなく残ってる。
日曜日だったので1日に2本しか走らない和田岬線の和田岬駅に来てます。三菱重工で働いてる人用の駅ということなんで極端な時刻表に
なってます。ノエビアスタジアム神戸も近く地下鉄がスタジアムのところにあるんですけどボクやったら和田岬駅から行きたいですね。(和田岬線は乗ったことない)
こういう盲腸線...って言い方今もあるんかな?これまた反応してしまうもので片町、湊町などの駅もそういう意味で好きだったが
終点でなくなったり廃止になってしまった。美濃赤坂駅ってまだあったよな、大垣からの線。あそこは行ってみよう。
ここ和田岬は神戸市の兵庫区。神戸市は西に長田区、須磨区、垂水区とあるんだけど須磨区と垂水区は一気に遠くなる気がする尼崎市民でした。(大差ないか)
和田岬あたりウロウロすんの相当久しぶりなんだけどここも外さない。川崎車両の本社に展示されてる「こだま号」と「ひかり号」、新幹線はやはりこの形なんすよ、
ボクはその世代なんで。こっちも「こだま号」でいいけどな。ボクは新大阪から1時間余分にかかるけど「こだま号」で行ったことあるわ。
20代の頃にお茶の水の楽器屋さん巡り、帰りはその頃まだ「のぞみ号」は登場してそんなに経ってなかったんじゃないかな?最終に近い「ひかり号」だったな、
日帰りでしたわ。151系の「こだま号」日本初の電車特急で東京〜大阪を約7時間で走るもので停車駅は後に登場する新幹線の「ひかり号」
みたいで横浜の次は名古屋ですもん、同東京〜大阪の特急「つばめ」「はと」より停車駅少なかったのよ。この展示、道路沿いでいつでも見られる。
ここは?工場の中みたいだけど、いや工場の中ですかね?「こだま号」が展示されてるところから東に進むと一方通行になり川崎車両の工場を抜けていく。
だいたい工場内は「撮影禁止」となってるのでこの角度で「道の写真」としましょう。そんなこの場所もストリートビューは容赦なく撮影して公開していてる。
工場内撮影禁止はどこもそうだけど現実は立ち入ってる車両もドライブレコーダーで撮ってるんだよね。この道はどういう経緯なんだろうね。
この道がないとすこぶる不便なんで一般道になってるのか、最初から一般道を挟むように工場を作り始めてこうなったのか?
この道は川崎車両の工場が出来る前、1900年頃の地図にすでにあるのよね。この古い地図では和田岬線の「鐘紡前駅」も登場してる。この今昔マップ素晴らしい。
20年くらいぶりにビーナスブリッジに行ってみる。左に下に写るグリーン(?)の歩道橋のことだと思ってるけど...何せ以前のことは古すぎて覚えていない。
この道路自体は20年も遡らなくても走ってるがここには寄ってなかった。今でこそカップル連中が南京錠を括りつける謎の風習があるが
ボクの記憶ではここが最初って言えるくらい昔からあり、この南京錠が雰囲気を悪くしてると思うボクはここに足が向かなかったのね(今もある)。
今回そういうものも目立ってなく駐車場も少し広くなり。北野テラスというレストランがある。もうボクとかが行けるフードコートじゃなくて
世界一の朝食というモーニングメニューは8600円...! 寒かったので自販機のコーンスープを飲んで景色を眺めます。
これは東寄りの眺め。標高は控え目でもその分手軽に来れるというのはその通り。景色はいいとしてアクセスの道路は二輪通行禁止で夜間23時〜5時は
通行止め(タクシーは除く)。市道神戸箕谷線、再度山ドライブウェイという道にあるここ。この道路自体はワインディングロードで楽しい...かと言うと
狭く走りにくく景色もなく道路のことをいろいろ好きで書いてきたボクもスルーしてきた道なんで走ることをお勧めしない道。
20年以上前だとボクは六甲山を走りまくってたことも多く、同じ道を走りたくない一筆書きで走りまくってたのでここも走ってたけど
「山麓線」に出たところで有馬街道(国道428号)に出てまた六甲山縦断の県道16号とパターンが決まってた。
ボクは夜景ってあまり見に行かない...かな。六甲山と生駒山という夜景向きのいい山が神戸、大阪にありいいタイミング見に行ったことはある。
空気の澄んだ平日の夕暮れから完全に暗くなるまで見てたこともある。まあ夜景はそういうところで冬の方がきれいかな。休日だと光量が落ちるので
日曜日は見に行かなかった。今回久しぶりにここに来て混んでいても金曜日の夕方から来てみたいと思ったな。と言っても平日なんで...
ひとつネタですが、このビーナスブリッジ(諏訪山公園)は神戸市中央区の「神戸港地方」というところにある。神戸港地方って山の方では?
となるけど神戸港地方で「こうべこうじかた」という大字なんですわ。昔の「じかた」の使い方が今にまで残り何か違和感のある地名になってしまってる。
神戸ではなくここは大阪市内、国道43号の伝法大橋北詰です。現在工事中なのは阪神電鉄のなんば線のさらなる高架化。なんば線って言うけど
つい西大阪線って言ってしまうのね...この工事は着手からずっと見て来てこの時点でも「かなり進んだなと思ってる。神戸方面の福駅も高架になって
最終的な「完成」は2032年だからまだ生きてると思うな、これは見届けたい。この工事が完成すると、いや完成するまでもないところで
組まれた鉄骨のトラスで伝法大橋の方向から大阪市中心部のビル群が見えにくくなってしまうなと...
広々とした淀川の景色が大きく変わってしまうのでこのタイミングで写真撮っておきたいなと思ってたんです。
少し離れて先ほどの工事中の橋が見えるところへ。ちなみに雲の感じが違いますよね、これは上の工事現場の写真とは別の日に撮ってます。
ここからの景色も工事が進むと変わっちゃいますね、さらに阪神高速湾岸線からも大阪の夜景が見えたけどどうなっちゃうんだろ?
撮影してるこの道、ずっと西に淀川沿いに進むと「矢倉園地」ってのがある。ここ行ったことないんすよ。ここから日没時なんかは
阪神高速湾岸線のシルエットがいい感じじゃないか?と阪神高速からもチラッと矢倉緑地を見たりするけど駐車場がないのよね。
ストリートビューを見て「まあこんなもんか?」で納得しちゃえばいいけど余計に行きたくなっちゃったのよね。
クルマの配置が似た写真が続いてしまった。気にしててそうならないようにしてるんだけど。じゃあついでに...これはオリンパスのOM-Dで撮影、
一つ上の工事中の橋が見えるのがスマホでの撮影。慣れてるのはオリンパスの青空の色ですね。ここはいろんなものをヒントに場所を当ててもらいたい
場所だけど小さく見える大阪ドームや川の上にある料金所...ここは大阪市港区市岡の尻無川沿いの道、もう少し進むと甚兵衛渡船場があります。
大阪市内は木津川などに市営の渡船場が8か所あります(無料)。この道あたりから国鉄時代の臨港線跡地とか見て海岸通りに出て
今は休日立ち入り禁止だが以前はちょっとした人気スポットだった第三突堤第七岸壁「通称ナナガン」に行くというパターンも以前ありました。
港区の天保山運河に架かる静波橋からの眺め、阪神高速の天保山料金所が見えてます。この橋は海岸通りの方から阪神高速利用のクルマが通るので
結構交通量あるんですね。この料金所のすぐ横にも線路があったんだけど意識して地図を見てると線路が見えてくるんですけどわかるかな。
大阪市の港区というところ、特に海遊館とかあったりするこのあたり、ボクの大好きな「港国道」でもある国道172号があったり、
かつてフェリーも出てた弁天埠頭があったりと大阪市内のドライブではよくステージになってました。レンガの住友倉庫、
周辺のイチョウ並木、イチョウが黄色くなる時期の日曜日とか交通量もなくなり仕事で走ることもあるここらだけどいいんです。
阪神高速湾岸線です、淀川の河口近くになります。白いアーチが2つ見えますがこの真ん中に中島PAがあり、府県境があります。
USJとか近いですけど一生行かないと思う。その代わり?ここらは定番だぞ。ヨットハーバーがあって公園にもなっていてボクが一眼レフデビューする際、
ここで練習してた場所。オリンパスのE-500ってヤツでしたね。3つ上の「くだり」で矢倉園地に行ってみたいと書いたが、ここから右の方に見える緑地がそうです。
この眺め、迫力あるんだけど雪を降らせる雲が好きじゃないなあ、もっといい雲が出てる日に撮り直したい。ボクはいつか好きな道路100ってのを
作ろうと思ってるけど阪神高速湾岸線が入るならここからの写真にしようと思ってる。そうだとしたら撮り直したい。
尼崎にある「空中三叉路」。交差点から六甲山の方の写真撮りたかったが歩行者禁止なんで断念、ここを走る時にチラッと眺めましょう。この橋はボクが湾岸線を
利用する時に使う、ベタ踏み坂っぽく撮れる坂を大阪側の上るの気持ちええです。ここね、尼崎の方からだとレアな軌道用の黄色矢印信号の交差点があり、次の交差点が
東高洲橋という船が通れるようになってる可動橋(跳ね橋)がる交差点、そして次がこの空中にある三叉路となっててこんな普通はない交差点が
3つ続くなんてまあ無いでしょうというところなんだが、そんなところ意識してるのはここを走る人であってもまずいないでしょう。
そしてこれを撮影したこの道。未舗装で倉庫会社の裏に行くだけだったが最近尼崎の分庁舎(清掃局)も出来てキレイになったところで初めて入ってみた。
こちらは国道において重要なところ、「梅田新道」交差点になります。これは歩道橋から、昼の撮影ですけどここは夜もいいんですよ、これはまさに国道2号の
スタート地点ですね、神戸向いてる場面。ここがカッコいいのはこの先の「桜橋」交差点で左に30°くらい?曲がりますのでビルが正面に来ます。
これでビルが立ちはだかる格好になり迫力が出ます。ここを夜この向きで走るの好きなんです。まあでも年に数回です。
ボクのことなんで大阪市内もクルマで来ますがこの撮影のためにコインパーキング使ったけど30分で1000円くらいです。
30分ギリギリカメラ持って歩いて来たけど大阪駅もうめきた公園、スカイビル...スマホのカメラだけでいいから歩き回りたいなあ。
この日は「梅田新道」交差点がお目当て、ここにあるのが左のプレート。ここは7つの国道の起点、終点になっている。国道423号はここじゃなくて
200mほど離れた「梅新南」交差点、国道25号などから分岐する形になってる。ボクは起点と終点はどっちでもいいくらいにしか思ってないけど
国道25号は四日市起点なんですね。国道163号が上野市になってるのはこのプレートの制作時期なんだろう。国道163号は古くは四日市まで、のちに
上野市になり今は津まで。名阪国道を作る時に国道163号が25号に変えられてしまい上野市までになってた時のプレートですね。
右は少し歩いて「桜橋」交差点、70年代に建った梅田第1〜3ビル前を歩いてここへ。この白い薄い(?)ビルはヒルトンホテル。まあ縁はないビル。
何が最初に来るかな?って普通電車でした。線路の景色なのか架線の景色なのか...ここは東海道本線の東淀川駅の南にある歩道橋から。新大阪駅も近いので
見えます。子供の頃国鉄を見に自転車で走りまくりでしたがメインの吹田駅北側のアサヒビール工場横は面影もなく同じ場所にも行けない。
そのうち吹田は行くとして今回はこちら。ひっきりなしに列車が来るのはいいけどせっかく来た特急に普通列車、長い貨物列車が被さるのは
よくあること。よしそれなら上から見てやれ。最近1968年の復刻版時刻表買って当時の鉄道ファンに戻ってる部分があるのよね。それでも鉄道の写真はこんなもん。
子供の頃はここで特急だけでも雷鳥、白鳥、日本海、つるぎ、しなの、明星、彗星、なは、はまかぜ、まつかぜ、とか見れた。東京発の寝台列車は時間が...
その歩道橋から貨物列車を見てる...この場所、踏切があったところです。なんとなく言われてみればわかりますかね?開かずの踏切になってたここ、
今は「踏切警手」なんて常駐してる踏切ってあるのかな?知らない人に説明すると遮断機を手動で上げ下げする人でぐるぐるハンドル回して最後の人の
身長の高さまで遮断機下ろしてその後すぐ遮断して..とにかく忙しい踏切にいた人ね、ここにもいましたね。踏切って電車が来ますよの合図なんで
列車見に行ってた頃はこの音だけでワクワク、クルマ乗って渡る身になった今とはエラい違い...と思う?いやいや先頭で踏切に捕まるの大歓迎です。
ここ東淀川駅は新大阪駅より24年先輩、新幹線作ってる段階ではここが新大阪駅になってたかも?という。(新幹線の新大阪駅近くのカーブはそのあたりに理由が?)
低いな...東京の高輪にタクシーの提灯殺しのガードと言われてたガードが数年前までありましてそこが制限1.5mだったからここと同じ。歩いてる人も
首曲げてます。ここは一方通行の出口になるんだけどここを抜けてきたわけではありません。ボクのレヴォーグの高さは1500mm、ここのけた下は
実際に計れば1.5m以上あると思うけど怖すぎる。最近のクルマは背が高いのでここを抜けてくるクルマも減って来てるんだろうね。
今のクルマでは無理でも以前に乗ってたクルマだと潜ったことありますよ。ストリートビューは?撮影するクルマはそのままなら可能だったとしても
何せ高いカメラ、値段も高いカメラ載せてるんで無理です。このあたり道路の開発遅れてて避けるようにしてたので今もあんまり知らないエリアなのね。
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